「自分の内面をさらけだしすぎちゃって、なんか恥ずかしいし、もう少しマイルドに、オブラートに包んだふうに書き直したほうがいいかもな」
今回は、こんなふうに考えたことのある人に向けた記事です。
最初に結論を書くと、
「もっともっと恥ずかしいことを書いちゃいましょう!」
これに尽きます。
「ここまで書いちゃっていいのかなあ……」
というくらい恥ずかしいことを書くほうが、その小説は絶対におもしろくなります。
反対に、
「これくらいあけすけに書いちゃうのは、なんだか恥ずかしいから、やっぱりもっとおとなしいものにしよう」
なんて思って、せっかく出てきた表現をなおしてしまうと、どんどん「普通でおもしろみのない」小説になっていってしまうので、ご注意を。
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「どうして恥ずかしいことを書いたほうがいいんだよ?」
と思った人もいるでしょうから、恥ずかしいことを書くメリットを3つ、ご紹介します。
まず1つめは、「平凡な小説にならない」ということ。
平凡な作品を書きたいなんて人、いませんよね。
だれだって、他の人が書かないような小説を書きたいですよね。
だったら、恥ずかしいことを書くのが最短ルート。
ちょっと考えてみてください。
ほとんどの人は、あなたと同じように、できることなら恥ずかしい文章なんて書きたくないんです。
恥ずかしい想いなんて、誰だってしたくありません。
でも、恥ずかしいことを避けていると、結果的にどの作品も似たようなことしか書けなくなってしまい、最終的にはどこかで読んだことのある平凡な小説になってしまいます。
だからこそ、周りの人が恥ずかしいことから逃げているなか、あなただけが内面をさらけだして、恥ずかしくなってしまうことを書くことによって、だれも書かないような小説が書けるというわけです。
そんな小説は、平凡な内容になっているはずがありません!
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つづいて恥ずかしいことを書くメリットの2つめは、「おもしろい小説が書ける」ということ。
メリットの1つめに続きますが、「平凡だけどおもしろい」なんて小説はありません。
「おもしろい小説」というのは、ほかに読んだことがないからおもしろいのです。
となると、おもしろい小説を書きたいなら、平凡で、誰でも書けるような内容は、避けなければなりません。
そのためには、恥ずかしいと思ったことこそ、書かないとならないのです。
恥ずかしいと思っても、修正したりしないで書き切ることで、誰も読んだことのないおもしろい内容になるというわけです。
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最後の3つめのメリットは、「自分だけの個性、オリジナリティが表現できる」というもの。
そもそも、「個性」や「オリジナリティ」を表現しようという行為自体が、恥ずかしい行為なんです。
なぜなら、恥ずかしいとは、他の人がやっていなくて目立ってしまうことを恥ずかしいと感じるから。
そう考えると、恥ずかしいと感じる表現の先には、必然的に「個性」や「オリジナリティ」が存在していて、恥ずかしくて、なるべく書きたくないことを書くことこそが、それらにつながるのです。
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以上、恥ずかしいことを書く3つのメリットをあげましたが、それでもいきなり恥ずかしいことを表現するのは、やっぱり難しいですよね。
そんな人へアドバイスがあります。
それは、あなたが想像する以上に、世の中の人は他人のことなんて気にしてないということ。
あなただって、他人のことをそんなに気にしていないのではないでしょうか。
「あいつ、あんなこと書いちゃって、恥ずかしいヤツだな」
なんて誰かのことを考えたことを、今も覚えていたりしますか?
きっと覚えていないでしょう。私たちはみんな、他人に対する興味なんて、その程度なんですよ。
それに、恥ずかしいと感じることは良いことなんです。
なぜなら、小説を書いていても全然恥ずかしくないということは、初めから平凡な文章しか書けていないということと一緒です。
だから、恥ずかしいと感じることは、非凡で、オリジナリティのある小説が書けているということなので、喜んでください。
ということで、
「こんなこと書いたら、読者にひかれちゃうんじゃないか。それに、こんな文章を公開するのは恥ずかしいなあ」
と思ったときこそ、勇気を出して、どんどん恥ずかしいことを書きましょう。
その先に良いことがきっと待っています!
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こういう記事って、読んで「なるほど~」と思うだけだと、あまり意味がありません。
でも、「私は~~~と思った」みたいに一言書いて、自分の意見を入れておくだけで、その内容が格段に活きてくるんです。
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